TANTRA千夜一夜
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笑い展
六本木森美術館で開催されている「笑い展」に行ってきた。

http://www.mori.art.museum/contents/laughter/index.html
のっけから笑う土偶が展示されていて度肝を抜かれる。

そもそも土偶とは不思議な形をしている。縄文時代に、おそらくは祭祀で使った
と言われるが、人の姿に似せようとする意思は感じさせず、全くデフォルメした
宇宙人のような形をしている。

高校生くらいまでは、絵画でも彫刻でもモデルを写実的に捉えていれば、感嘆
したものだが、いまとなってはそうも思わない。

美術は物事の本質を抜き出し、それをデフォルメして表現することにこそ意味
がある。観客である私たちは、作品を通してアーティストの眼を借りて世界を
覗くことができる。

モンドリアンは直線と三原色のみでロンドンのトラファルガー広場を描いてみ
せたが、私たちが眺める実際のトラファルガー広場はそんな単純な形で構成
されてはいない。
参考リンク:モンドリアン トラファルガー広場

しかし、モンドリアンは直線と三原色こそがトラファルガー広場を構成する本
質的な要素と考えたわけで、私たちもその絵を通して広場を眺めなおすことで
モンドリアンとおなじ、それまでは考えてもみなかった見方をするとが可能と
なる。

土偶の極端なデフォルメした姿にも同じことがいえる。私たちは、土偶を通し
て、縄文人の想像していた世界を垣間見るのだ。

さらに「笑い展」の土偶はさまざまな笑いの表情を浮かべている。

笑うことは子供の頃から誰にでもできるので見過ごしてしまうが、大人となっ
て日々追われるように生活をしながらふと立ち止まって考えてみると、それほ
ど単純なことではないことに気づく。

笑いがなくても人は生きていくことができる。つまり、パンを得るのに笑いは
必要ではない。おそらく、ただパンのために生きるものが、笑うことはない。

縄文時代であれば、いまより日々の糧を得ることが厳しかったと想像されるが、
そこで必ずしも必要ないと思われる土偶をつくり、あまつさえ笑顔も浮かべさ
せてしまう。そこには単に食べるためだけの生活とは、質的に大きく異なった
世界が広がっている。

「笑い展」には縄文の昔の土偶だけでなく、現代のビデオ映像なんかもある。
しかしノリがほとんどYouTubeの面白動画。YouTubeはアートの最先端を走っ
てるのかもしれない。
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